旧暦の一月十一日は、伊能忠敬が生まれた日です。
伊能は北海道から鹿児島まで自ら縦断しながら測量し、当時の技術で精度の高い地図を作りました。
厳格な性格の持ち主であり、測量期間中は隊員に禁酒を命じ、規律を重んじていた。
(身内でも特別扱いせず、息子の秀蔵も1人の内弟子として扱い、最終的には破門している。)
商売人であったことから金銭には厳しく、晩年、自身が病気になって江戸の自宅で玉子酒を飲んで治療をしているときも、
「卵は江戸より佐原の方が安いから佐原で多めに買って江戸まで送るように」と指示を出している。
一方で九州測量中に、利根川の洪水で被害を受けた人々に施しを与えるよう指示している。ただしこのとき、
食べていける者ににも分け与えることは名聞を求めるのにあたるから慎むべきだとしている。これらのことから、
忠敬は意味あることについては大金を投じることも惜しまないが、そうでないことには出さないという、合理的な考えの
持ち主だったことがうかがえる。
ウィキペディア参照
現在、私たち不動産屋において正確な測量は無くてはならないとても大切な情報であり、約300年前に精度の高い地図を作った伊能忠敬に敬意を表します。
2022年1月11日